万葉集の編纂に
深く関わったとされる大伴家持。
その父親
大伴旅人が
九州、大宰府に赴任したときには
既に六十歳を過ぎていました。
左遷ではなかったのですが
旅人にとって
意に沿わぬことだったといいます。
この地で旅人は
山上億良や僧満誓らと出会います。
旅人も憶良も
その創作活動が集中しているのが
この筑紫の時代でした。
大伴旅人の歌の中でも
とりわけ名高いのが
万葉集巻三に並べられた
お酒を賛めた十三首。
験(しるし)なき物を思はずは
一坏(ひとつき)の
濁れる酒を飲むべくあるらし (339)
酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古の
大き聖の言の宣しさ (340)
古の七の賢(さか)しき人たち
も欲(ほ)りせし物は酒にしあるらし (341)
賢しみと物言はむよは酒飲みて
酔哭(ゑひなき)するし勝りたるらし (342)
言はむすべ為むすべ知らに極りて
貴き物は酒にしあるらし (343)
中々に人とあらずは酒壷(さかつぼ)に
成りてしかも酒に染みなむ (344)
あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人を
よく見ば猿にかも似む (345)
価(あたひ)なき宝といふとも一坏の
濁れる酒に豈(あに)勝らめや (346)
夜光る玉といふとも酒飲みて
心を遣るに豈及(し)かめやも (347)
世間(よのなか)の遊びの道に洽(あまね)きは
酔哭するにありぬべからし (348)
今代(このよ)にし楽しくあらば来生(こむよ)には
虫に鳥にも吾は成りなむ (349)
生まるれば遂にも死ぬるものにあれば
今生なる間は楽しくを有らな (350)
黙然(もだ)居りて賢しらするは酒飲みて
酔泣するになほ及かずけり (351)
万葉集研究家の、故、犬養孝先生は
「この歌の中には悲しみがあります。
この人の悲しみを見なかったら
酒を讃むる歌は
理解できないのではないか」
と言われておられます。
この、お酒を愛する
大伴旅人は
都の、丹生女王(にふのおほきみ)に
九州へ下る途中で
お酒を送ったようです。
そのお酒こそ
古人の 食(たま)へしめたる 吉備の酒
病めばすべなし
貫簀賜(ぬきすたば)らむ(巻4・554)
と歌われた
吉備豊酒(きびのとよざけ)です。
奈良時代の昔より
都においても
吉備のお酒は
美味しいお酒として
すでに有名であったと
いうことでしょう。